Ζήνωνα の逆理
山川偉也「ゼノン 4 つの逆理 アキレスはなぜ龜に追ひつけないか」1996/2
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一 / 多
多
點存在論
原子論
有ラヌものどもとしての過去・未來と同列に竝び立つ「現在」
多が在るとすると、矛盾 (歸謬論證)
物
斷片 2
大きさも厚みも嵩も持たない物は存在しない
大きさも厚みも嵩も持たない物を、物に附け加へても物は增えず、引き去っても物は減らない
斷片 1
物は多であるなら 2 分割できる
分割されたそれぞれは大きさを持つ。大きさを持つ物は再び 2 分割できる。分割は無限に繰り返せる
大きさを持つ無限の部分から成る物は、無限に大きい
しかし物は實際には無限に大きくないから矛盾
一方で、無限に分割を繰り返した結果が大きさを持たない物になるとすれば、斷片 2 より大きさを持たない無限の部分から成る物は無限に小さい
しかし物は實際には無限に小さくないから矛盾
斷片 3
物が多く存在するならば、2 つの物が在る時その閒が在る、卽ち 3 つ在る。かうして物が無限に在る事になる
運動
第 1 逆理 (二分割)
始點から終點へ移動する場合、多が在るならば中閒點で分割できる。中閒點を新たな終點として、始點から終點へ移動しなければならない。この分割は無限に繰り返せる。よって無限の運動が在る事になる
しかし實際には運動は有限であるから矛盾
運動についての第 2 逆理 と同じ議論
物についての斷片 1 と同じ議論もできる
無限に分割し終へた時に、幅が在る多くの部分から成るならば、無限の距離を移動しなければならない
無限に分割し終へた時に、幅が無い多くの部分から成るならば、移動するべき距離は無い
中閒點を新たな始點としても、同じ議論ができる
第 2 逆理 (アキレス)
速いアキレスが遲い龜を追い掛けるとする
時點$ t_1のアキレスが時點$ t_nに龜に追ひ附く爲には、時點$ t_1の龜の位置を通過せねばならない。通過する時點を$ t_2とする
時點$ t_2のアキレスが時點$ t_nに龜に追ひ附く爲には、時點$ t_2の龜の位置を通過せねばならない…。この過程は無限に繰り返される
無限に繰り返されるから、無限の運動が在る事になる
しかし實際には運動は有限であるから矛盾
第 3 逆理 (矢)
飛矢を想像する時、飛 (矢の飛翔) と矢 (飛翔する矢) とのどちらかしか想像できない
堅白論と同じく、どう解釋するかによって異なる問題になる
堅いと白いは同時に知覺できない爲、堅い石と白い石とは存在するが、堅くて白い石は存在しない
石は實在するが、堅さや白さと云った性質が付與された石は存在しない
石には、堅いと云ふ性質が附與されて例化される事、白いと云ふ性質が付與されて例化される事ができるが、複數の性質が同時に付與されて例化される事はできない
飛 (動き) は動いてゐる。しかし飛を想像する時、矢を想像できない
矢を想像すると、時點が多く在るならば、指示した矢はその時點に在り他の時點には在らぬ。その時點に在ると云ふ事は止まってゐる
しかし矢は動いてゐるから矛盾
今$ t_1と今$ t_2とが在り、今$ t_1は今$ t_1であり今$ t_2ではあらぬ
第 4 逆理 (競技場)
時閒と空閒が多くの單位閒隔から成るとする
n 個の期閒$ t_1,t_2,\dots,t_nに分割できる時閒に、n 個の區閒$ s_1,s_2,\dots,s_nに分割できる空閒を、n 個の物$ l_1,l_2,\dots,l_nが左から、別の n 個の物$ r_1,r_2,\dots,r_nが右から移動するとする
物$ l_iと物$ r_jとが期閒$ t_kに區閒$ s_mで擦れ違ふ時を考へる
期閒$ t_kの始めに、物$ l_iの右端が區閒$ s_mの左端に、物$ r_jに左端が區閒$ s_mの右端に在る
期閒$ t_kの終はりに、物$ l_iの右端が區閒$ s_mの右端に、物$ r_jの左端が區閒$ s_mの左端に在る
期閒が分割不可能な最小單位を持つとして、分割$ t_1,t_2,\dots,t_nがそれだとすると、
區閒が分割不可能な最小單位を持つとして、分割$ s_1,s_2,\dots,s_nがそれだとすると、
物$ l_iの右端と物$ r_jの左端とが區閒$ s_nの中閒で擦れ違ふ瞬閒は無い事になる。卽ち物は飛躍する事になる
期閒$ t_kの閒、物は止まってゐる事になる
止まってゐる物は運動してゐない
運動についての第 3 逆理と同じではないが似た議論
區間が無限に分割可能だとすると、
物$ l_iの右端と物$ r_jの左端とが區閒$ s_nの中閒で擦れ違ふ瞬閒が在る
期閒に分割不可能な最小單位が在るとしたから、期閒の始めから中閒で擦れ違ふ迄、中閒で擦れ違ってから期閒の終はり迄の 2 單位期閒が經過せねばならない
$ t_kが 1 單位期閒であるとした假定に矛盾する
期閒が無限に分割可能だとすると、
運動についての第 1 逆理と同じ議論ができる
但し、
物理的には、量子論では Planck 長$ \ell_P=\sqrt{\frac{\hbar G}{c^3}}以下の大きさを數へるのは大抵は非物理的な、意味を成さない (摂動の前提として打ち消される) 議論である。著者は量子論は考慮してゐない。因みに量子論も非直感的な性質を持つ 一
《今現在》
分割不可能で始・終なき全一者
世界。存在者全體